家族を介護する日々の苦しみや哀しみ、喜びを五・七・五・七・七の言葉に託した「介護短歌」。自分の目で見、耳で聞き、肌で感じたことを素材にし、思いついたことを素直に表現した「介護短歌」は、NHKテレビや雑誌等で大きな反響を呼んでいます。
ここでは毎月一回、自らも介護の経験を持ち、介護短歌の火付け役となった安森敏隆さんがみなさんから投稿された「介護短歌」を紹介し、全国の介護家族の心を結びます。
[2006年6月の介護短歌]
安森敏隆です。
水無月となりました。この季(とき)を越えると夏です。私がはじめて「介護百人一首」を構想したのは、義母が九十三歳で亡くなったときです。義母の八年間にわたる在宅介護もこれで「終わったなぁ」と思ったとたん、八年間、在宅介護しているときに、短歌があふれるように出来た体験から、介護している人、されている人には、きっと「歌がいっぱいつまっているにちがいない」と思ったのです。そして、今も何を見ても介護短歌があふれるように出来、皆さんの珠玉のような歌にも出会っているのです。
【六月の優秀作品】
施術終え言葉やさしく退出すリハビリ青年に皆手を合わす
(評 「言葉やさしく」と「皆手を合わす」が一首のなかで見事に呼応し、リハビリをしてくれた「青年」と「皆」の心を結びつけている。)
母の日の病院前の花屋には無口な男が花買いに来る
(評 普段は、まことに「無口」で無粋な男とおもっていた人が「母」のために花を買いにきたのである。心温まる作品である。)
医師の顔にチラっとよぎる無力感 アロエをひと鉢買って帰りぬ
(評 わが家にもアロエの鉢がいっぱいある。亡き母や家族のためにその折々、妻が買ってきたものである。今でも「アロエ」を見ると元気が出る。)
《その他優秀作品》
息詰めて父の痛みにつき合わん禁足覚悟の連休初日
季はめぐり亡父の畑に命いづ花と野菜と余白正しく
老母(はは)を置いてNYに発つ親友は癌再発を吾に告げたり
シャクヤクの大輪ひとつ雨のなか生まれ変わりか明日は母の日
ねぎらいに妻を誘いて山に入ればフタリシズカのきらめきに逢う
亡き人はみな美しく語られるそういう儀式が一周忌かな
呼ぶ声が遠くかすかに聞こえてるわたしも眠い深夜の病棟
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