介護短歌〜安森敏隆が選ぶ今月の佳作〜

家族を介護する日々の苦しみや哀しみ、喜びを五・七・五・七・七の言葉に託した「介護短歌」。自分の目で見、耳で聞き、肌で感じたことを素材にし、思いついたことを素直に表現した「介護短歌」は、NHKテレビや雑誌等で大きな反響を呼んでいます。
ここでは毎月一回、自らも介護の経験を持ち、介護短歌の火付け役となった安森敏隆さんがみなさんから投稿された「介護短歌」を紹介し、全国の介護家族の心を結びます。

[2005年9月の介護短歌]

安森敏隆です。
「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」で始まる正岡子規の『病牀六尺』は、子規三十五歳の明治三十五年五月五日から九月十七日まで新聞「日本」に連載され、亡くなる二日前まで書き継がれたものである。この「病牀六尺」は介護論として読むとき、現代に於いてまことに示唆ぶかい在宅介護の問題が色々と提起されている。子規の57577の短歌と575の俳句はそういうところから生まれた。

【九月の優秀作品】

言葉なき母の午睡の枕辺に紅の花もて八月に入る
花村紫苑
(評 「言葉無き母」にも、いっぱいの言葉がつまっていることだろう。それを「紅の花」が語ってくれるのであろう。)
その昔ばりばりキャリアの旧友は介護の日々と暑中見舞に
桑原洋子
(評 キャリアの日々はキャリアの日々。これからの「介護の日々」が、本当の日々となろう。)
帰宅する姉を痴呆の父が呼ぶ父は最後の別れをしたか
上田保子
(評 父が呼んで話した「言葉」は何だったのだろう。それが、最後の言葉か、最初の言葉か)
ベッドから老婆を抱きしこの腕に委ねられしは身だけだはない
鈴木大輔
(評 身も心も抱き、そして「魂」までをも抱きながら浄化されて歌になるのが介護短歌である。)
畏友あり母を介護の日日に創りし御輿いまさしかかる
丹沢悟
(評 母を介護しながら創られた友の御輿が、今し目の前を通りすぎていったのである。「創りし」と過去になっているので、友の母は、亡くなったのであろうか)

《その他優秀作品》

新盆の読経しみいる本堂に魂のごと半月かかる
本間耕作
病人の気持ちを傷つけ留学すこんどはお嫁に、じいちゃん、ゴメン
谷冨友美
アメ横もうだる暑さに打つ手なし老婆のウチワ母のおもかげ
湯川和人

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介護短歌の選評をされている安森教授の紹介は
安森教授プロフィール